失敗経験のない子供は打たれ弱い

小学校の高学年になると、親に心配をかけたくないという気持ちが生じます。

子供にも当然プライドがあります。

いじめられた時、実際は泣いて、母親に何もかも訴えたい・あるいは父親にかもしれない。

ところが、ある年齢に達すると、親の手前かっこ悪いと、ちょっと距離を置くようになることはよく知られている通り。

それまでは、べたべたと「お母ちゃん」と言っていた子が、思春期にも入ると親に何もかも話すことができなくなります。

そこで、何とか自分で処理しなければならない。処理能力がないのに親に対して距離を置くような事態になります。

その問題構造が、実は今深刻化していると見られています。いじめに関して、親の責任・学校の責任など、色々ありますが、ここが見落とされがちです。

子供というものは、成長すれば親と距離を置くのが当たり前で、何もすべて泣いて相談しに来るものではないということを、親も理解しなければないけません。

親にさえそうだから、いわんや、先生に泣きついたりしなくて当然です。

親や兄弟と一緒に風呂に入らなくなる時。これが彼らの意志表明で、そこから独立が始まります。

その独立意識があって、そして、自分で自分の身を処する能力があれば、問題はないのですが、自分で自分を処理する能力が培われていないにも関わらず、独立心・距離感というものが生まれるところに、祖語が生じます。

もうひとつのポイントは兄弟の数が少なくなっている点です。昔は生まれた時から、兄弟喧嘩しながら、危ういバランス感覚を体得してきました。

たとえば、今兄弟が二人だとして、男と女だとすると、これは喧嘩できなません。

やはり同性同士で喧嘩するし、周りの子供も兄弟がたくさんいて、年上と年下が渾然となって遊び、争う。以前は、そういう地域での訓練が自然とできました。

ところが、現代だと周りの子とそんなに遊ばないし兄弟も多くありません。

自立が芽生える小学校四、五年の時までに、予備訓練ができていないというのは後に大きなトラブルの種となります。

昔は兄弟喧嘩をして、兄貴に負ける。また翌日は近所の年上の子に負ける。その繰り返しでした。しかし、今の子供たちは、はたして負ける訓練が充分にできているのか、大きな心配事とされています。

以前は「お下がり」として、服から、靴からパンツまで、兄貴のお古を弟がもらう習慣がありました。

家計の必要上、止むを得なかったわけで、だからそこにおのずとヒエラルキーが「長男の奴が一番可愛がられて、いつも新品着て、けったくそ悪いな」と憎みながら、

「自分は次男だ、次男の分を守らないかん」

と辛抱する。つまりそこで、いろいろな感情の暴発のコントロールができていました。

もちろん長男も、兄弟の中では威張っているけれど、外へ出て一緒に遊んでいる仲間からは、いじめられて、負けていることも多いわけです。

しかしその習慣もなくなり、我慢も失敗経験もない子供が増え、結果的に打たれ弱い子どもが増えたと言われています。

戦国時代の武将、朝倉孝景(敏景ともいう。 一四二人~八一)の家訓『朝倉敏景十七箇条』に、

「いっぺんも敗戦経験のない大将は気をつけろ。いっぺん手痛い敗戦の経験を持った大将は有能である」

というのがあります。

子供も失敗や挫折や喧嘩の負けを知らないと、何か事が起こったときどう対処していいか分からず、猪突猛進してしまう。それが大失敗に繋がってしまいます。

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